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ステイインステップ

  生き物が個体として独立する上で、他の存在との区別をつける決定的なもの要因とは何なのであろうか。僕はこれを選択だと思う。

  人と人が向き合った時、己の全てを本当の意味で晒し会うことは出来ない。脳だか心だかが判断した思考や感情と、実際にそれを伝える伝達手段にはおおきなプロセスが存在しているからだ。言葉を選ぶと言う表現があるが、私たちは意図して選ばなくとも、無意識にそれが行えるようになっている。目と目で向き合っても、どれほど心から素直に向き合おうとしても、僕たちには数え切れない程のヴェールを介して存在している。更に言うなら、僕たちはそもそも普段相手に対して率直であろうとしているだろうか?

  人が交流するためのツールが大きく発達した現代で、僕たちを取り囲むヴェールはますます増えていき、ついには声も顔も仕草も相手に悟らせずにコミュニケーションを成立させることができるようになった。そんな環境で他人とコミュニケーションを取る際に、私たちを何をもって個人を判別すればいいのだろうか?名前ではない。アイコンでもない。他人の名義を名乗り乗っ取るような事件は大きなものから小さなものまで、常に僕たちの周りで起き続けている。スパムのように成り果てるならともかく、元々あった人格のように振り舞おうとされたとき、その区別をどこから察知できるのか。
  僕はそれを選択だと思う。この人はこういう時にこういう言動を取ってきた。だからこのような言動を行うのは妙だ。人生とは選択の積み重ねである。いくら他人になりすまそうとも、その人物が重ね続けてきた選択の理論を完全に模倣することなんて出来ない。…本当に?
  同じ事象を経験した際に、人はそれぞれに異なる感情を受けリアクションを選択する。僕たちが主体的な決定だと思っているすべては、しかしながら常に何かしらの影響に対するリアクションであり続ける。
  個人の選択から動機を読み解き続け、その綻びを覆い隠せるほどのヴェールさえあれば、人は誰かになれるのではないか?例えばそう……本人が追求してこれないような………亡くなった人とか??でももし、その亡くなったはずの人に成り切って選択を続けた結果、本人と対面するようなことになったら?

  ここまで書けばもう分かると思うけれど、つまり今回の話は劇場版ハーモニーのレビューだ。

  まずあの映画についてだが、作者が亡くなっていることもあり、物語の舞台をビジュアル的に表現するためのリソースが圧倒的に足りず、世界観の作画に大きな疑問が残った。また、尺をコントロールするための、特にクライマックスの言動の変化は僕わ大きく落胆させた。悲しい事件だった。駄作だと結論付けていた。

  ただ最近少し心境の変化があったので、それを取りまとめようと思う。

  集団自殺に失敗したトァンたちは疎遠になり、異なる道を進んだ。トァンは、ミァハの影を追い続け、ミァハが得るであろう知識と考えを求め続けた。自分が英雄視したミァハと同一の存在であろうとした。
  日本に戻ったトァンはキアンと会い、違う道を歩んだ彼女もまた、ミァハの作った名刺に描かれた3人のままであり続けた事を知る。トァンとキアンの時間はあの頃から変わっていない、亡きミァハを含めた3人の同志だった。
 
  ハーモニーは、自分の知っているミァハになろうとし続けたトァンが、自分の知らない人間になってしまったミァハの思考と理由を知るために彼女の今を追う話である。髪を伸ばし大きく姿を変えたトァンと、当時の面影を残して成長したミァハの姿も対照的といえる。

  ミァハの思考を成り立たせていた生まれの根源を知り、今のミァハの考えを知ったトァンは、目の前の彼女ではなく自分の中の同志でありイデオローグであったミァハを選択して銃の引き金を引く。原作と劇場版では此処での台詞と印象が大きく異なり、僕はそれが納得できずにいた。具体的に言えば、原作はキアンと父を殺した憎しみで。そして劇場版は好きだよと囁きながら、思い出を回想しながらとなる。
  原作の憎しみはトァンの、つまり彼女の中のミァハが同志であったキアンを殺した今のミァハに対して抱いた憎しみであり、そして劇場版の好きだよという台詞もまた、3人の同志であった彼女の中のミァハに告げたものであり、目の前のミァハに対する拒絶の言葉だと言えるのでは無いか。ハーモニープログラムが起動する中で回想されるシーンからも、劇場版においてトァンの心境が、決して尺の操作のために改変されたものでは無いのだと考えられる。

  ずっとあの映画について自分の中でわだかまりのようなものを抱え続けていたが、ようやく解放されたような気持ちである。ハーモニー劇場版、悪くない。いや、これから僕はこの作品を素晴らしい映画だよと言えるだろう。…建築物のデザインを除いて。何にせよ、もう劇場版ハーモニーについて考えたり語ることもないだろう。実に5か月かけた和解であった。