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情動は豊かに歪み繊細に微笑む

  Dead by Daylightという主に海外のファッキンクソナードオタクと地獄の追いかけっこをするゲームを47時間くらい遊んだ。

  4人の生存者と1人の追跡者に分かれて氷鬼のようなルールで競うゲームなのだが、鬼はみんな一様に恐ろしい姿をした化け物や殺人鬼であり、1vs1では生存者を圧倒的に超える能力で相手を追い詰める。

  細かい話はさておき、このゲームの面白いところはお互いに大いに心理戦を仕掛け合う点だ。自分が相手ならどうするか、相手の視点は今どこを見ているかを探り、裏をかくのが生存者側の醍醐味になる。しかし稀に捕まえた相手が死ぬまで、その目の前からピクリとも動かない鬼に出会うこと等があり、勝利もスコアも投げ捨て、周りに寄ってきた他の生存者にも目をくれずただこちらを眺めるそのディスプレイの向こうの表情を想像して恐ろしくなる時がある。おまえトイレでも行ってんのか?

 

  このブログを最後に更新した時はまだ大学に通っていたのでほぼ1年近く記事を書かなかったことになる。最近女の子の笑顔に胸を打たれることが多くなってきており、ツイッターの年上のフォロワー達が狂ったようにニチアサを視聴し少女向けゲームに没入するキッカケはもしやこのようなところにあるのではとわずかな危機感を感じる。

  おそらく、まだ多くのことを知らない純真な子どもが自分にできる全てをかけて取り組むからこそ出来る笑顔や涙に胸を打たれているのであろうと思う。歳をとるにつれ、学ばなければならないことは増え、せねばならぬことも増え、自分が小さな頃よりもよほど必死に努力して事を終えても、昔のようなひたいからこめかみをなぞり、後頭部に抜けるように笑う事や、全てを叩きつけるような激情の涙を流すことは出来なくなった。

  完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与えられた特権であるとは芥川の言葉だが、僕たちはきっと人生で得たどうでもよい知識や経験や常識の引き換えに、幼い頃の自分を突き動かしていたその心臓を失っていて、だからこそ子どものそれを見た時に胸の空洞を認識させられる。

  羞恥心やプライドに覆い隠されていると思い込んでいても、その感情を払い切ることが出来ないのは、きっとその奥にあるはずのものがない事を無意識に理解していて、しかし僕らは認めることが出来ないのだ。

  最近色々本を買っているがなかなか読むタイミングを見つけられない。何故だが昔のように移動中に読書をする習慣を失ってしまった。スマホのせいか?電子書籍だと読もうかなと思うこともあり、このためにkindleか何かに頼ろうかなとも考えるが、やはり本屋で目当ての本を見つけ表紙や背表紙をなぞる楽しみは捨てがたい。

  僕は腕時計があんまり好きではなくて、それもあってApple Watchに全く興味がなかったのだが、友人のスマホ乗り換えに便乗して色々説明を聞いたところApple Watchが少し欲しくなった。逆に、これくらい多機能で無ければ付けないのかもしれない。

  講義中にサボって本を読むと大いに捗った。大学を出て講義を受ける機会が(少なくともその間本を読めるようなものは)無くなり、自分は静かな図書館よりも、あの講義の声が本を読む良いBGMになっていたのだなと認識させられてしまった。とはいえ本を読むために大学に忍び込んで講義にお邪魔するわけにもいかず、此処はさっさと大人の読書の付き合い方を覚えなければならない場面だなと感じつつも、何か良い手段は無いかなと思案するばかりである。

  年末年始に買った「ビッグデータ・コネクト」と「オービタル・クラウド」をひとまず読んだら、また次の何かを書こうと思う。それではまた。