煙管と発光ダイオード

 昼寝をしたら夢を見た。どうも夢の中では僕は教師で、小学校の6階(!!)で子どもたちに授業をしていると、一人の生徒が都合で早退するという話をして出て行った。別の先生がすぐさま教室に駆け込んでくると、すぐに追いかけないとまずいと言われ、慌てて廊下に出て階段を駆け下りようとすると、上だと言われる。今日は特別な日だからと言われて戻ると、確かに6階までの学校なのに7階へと登る階段が見えた。疑問に思いながらも視点は動き出し、8階まで駆け上る。授業中であったはずなのに窓の外は紅く暗い。廊下に電気はついておらず、その奥までは見通せない。教室の中も、何故か暗く全く視線が通らない。ここは黄昏時の今にしか無い場所であり、すぐに帰らなければお前も帰れなくなる。勿論子供もだ。用務員めいたおじいさんが現れて僕に話す。子供を見つけに行くか、自分だけ逃げるか。夢から醒める前にここから出た方が良いのではないか。その時おもむろに僕はこれが夢であることに気付いた。しかし、僕が行動を起こす前に視界は遠のき、僕は夢から醒めた。久しぶりに怖い夢を見た。

 学生時代、何度か不思議な経験をしたことがあった。そしてそれは、決まって母の実家に泊まりに行っていた時だった。大学に通い始めた当時、しばらく居候させて貰ったりもしたが、僕の小さい時からどんどん住んでいる人間が出入りして替わっていくのが印象的だった。僕の知っている中で最初に居なくなったのは、他界した曾祖父だ。僕の母方の曾祖父は、少なくとも記憶にある限り僕が物心ついた時点で既に少しボケ気味だった。元々寡黙な方だったこともあり、母の実家に行くとお会いすることはあったものの、言葉を交わした記憶はほとんどない。彼は郵便局のまあまあ偉い人物だったそうで、亡くなってから夫と比べてかくしゃくとしていた曾祖母に色々な話を聞いた。その中でもっとも鮮明に記憶に残っている話に、曾祖父が狐に会った話があった。祖父が職場から帰る際、まだ暗い、月明りしか照らすものの無い田舎の田んぼのあぜ道で、本来道が分かたれないところで3つに道が分かれていた。結構なハードスモーカーだったという曾祖父がそこで困って煙草を吸うと、道はたちまち一つになったという。これは、結構色々なところで聞かれる話で、狐、たばこ、などで検索すると似たような話がいくつもヒットする。

 実際に曾祖父が狐に会ったのかはともかく、少なくとも今現在狐に“遭う”人間は少ないのではないか。僕はここ10年辺りの変化については何でもスマホのせいにしてしまう癖があるのだが、これについてはきっと間違いでないと思う。インターネットによって伝達の定義が大きく塗り替わった後、新しい怪談というものは爆発的に拡散された。昭和から平成の初期にかけてのこっくりさんトイレの花子さんのような広く広まった怪談や、おそらくそれよりも古い帰路に狐に会うような類似の話がインターネットの無い時代にすら全国的に広がったのだ。インターネットによって趣味を共有する者たちが集まることが可能になった以上、それを越えて拡散されるのは当たり前ともいえ、実際、有名どころでは八尺様などのような話は相当な知名度を誇る。掲示板では「凸」と呼ばれるような実際に現場に行ってその状況をリアルタイムで投稿するような行為や、創作か否かはともかく自分や友人の経験談を語るものが多くあらわれた。しかしこの流れは徐々に失速する。僕は此処について、スマホとそれに付随したSNSの発展が影響していると思っている。情報のリアルタイム感が、あまりにも高まりすぎたのだ。

 かつてオカルト板が隆盛した頃、2ちゃんねるに限らず掲示板というのは今思えば不便なコンテンツであった。時代の差もあるが、携帯電話から投稿されることは想定されていなかったため、そもそも携帯で撮った写真を投稿時にリンクするような機能は存在しなかった。携帯から画像をアップロードする際には一度別の何かしらのアップローダーを用いねばならず、そのために携帯電話を用いたようなリアルタイムの投稿と写真の親和性は低く、その際に画像が上げられたとしてもアップローダーの保持期間は決して長いものではなかったのだ。そのため、それは主に文章によるものとなり、時折投稿されるような画像は逆にそれがほとんど何も見えないような暗い写真でも、妙な信憑性を発揮したものだ。

 しかしながら今のツイッターフェイスブックのようなSNSは、スマートフォンの発達によりそれから投稿されることを前提に設計されている。どんな投稿でも常に携帯ならば画像を貼ることが出来、そして大きく拡散されれば方々から人が現れてああだこうだとしゃべくることが出来るようになったのだ。そしてその結果、僕の知る限りおそらくインターネットでのホラー投稿という物は衰退の兆しを辿ることとなった。

 今思えば、逆に何故あれほど情報伝達に不便であった時代にそこまで同じ怪談が広まったのかの方が不思議である。様々な童話や地域性の高い物語には、ルーツを全く一にしないはずながら同じ展開をなぞるものがいくつもあると、これは民俗学などで確か追及されていたと思うが、誰から聞いたのか、どこで知ったのかもいまいち明確でないまま、思い出せばみんな知っているというのはそれ自体が一つの怪談と言えるのではないだろうか。文明が人の世を照らす中で、オカルトは追いやられ、伝説や怪奇はなりを潜め、科学が多くの事象を説明することが出来るようになった今、そこに最後に残った残滓が拭われていく中を僕たちは歩いているように思う。

 冒頭に書いた夢はなかなか忘れることが出来ず、何度も比較的鮮明に思い出せたために印象的で、再び続きから見ることへの恐怖から思わずブログとして書きつけたのだが、実はこのブログは書き始めてから此処まで1週間近く経っており、とりあえず今のところ夢の続きを見てはいない。きっと今晩も見ることは無いと、僕は自分に言い聞かせる。街灯に、コンビニの明かりに灯されて、僕はまた夜道を行く。いつもの道がふたつみっつとならぬよう、道の行く先を確かめながら。それを映すことへの期待を、こっそり心に抱きながら。